勅使川原三郎「月に吠える」
2017.8.24 東京芸術劇場 プレイハウス

1of1
KARAS
SABURO TESHIGAWARA


志賀信夫の「動くからだと見るからだ」
勅使川原三郎の『月に吠える』

 いきなり舞台に大きなL字型の光が現れ、その上手端で勅使川原三郎が踊っている。揺らめく両手を素早く左右に動かしながら、上手から下手にゆっくり移動していく。その光とは細い白い光の線、おそらくコード状のLED照明が、下手上から垂直に下りて床で右に直角に曲がり、舞台上手端近くまで伸びている。その向こう側で踊っているのだ。かつ、上手には一本上から同様の光が途中まで垂れている。
 このときの勅使川原の踊りは、手踊りと左右に動くステップである。その手の動きが素早く回転をつくったり多様であり、この両手を大きく広げると空間をつくり、ダイナミックな踊りになるのだ。途中で見せた両手首をクルクル回す「糸を♪巻き巻き」の手遊びの動きが、基本パターンの一つともいえるが、その手元の細かい速い動きは繊細である。
 マリア・キアラ・メツァトリ パスカル・マーティ 鰐川枝里
 L字型の照明は手前と中央と奥の3つあり、それが瞬時に切り替わる。そして二度目の中央の光のときに3人のシルエットが浮かぶ。頭を左にして横たわり膝を折った姿で、下には何本も同様の細い光が敷かれている。この光と関係したビジュアルが何とも美しい。音は独自のノイズ、不快でない自然の機械音という感じであり、時折、強めのノイズが混ざるが、ミニマルな音が空間をつくる。やがて光の線が一本一本引き込まれていく演出も楽しい。

 その3人は勅使川原のカンパニー、KARASメンバーの鰐川枝里、イタリア人のマリア・キアラ・メツァトリ、フランス人のパスカル・マーティで赤、紫、黒の衣装を着ている。3人とは独立して佐東利穂子が踊る。勅使川原、佐東、そして3人という構成である。
勅使川原三郎
 特に衝撃的なのは、赤い衣装のマリアがトゥで立つポーズのまま頭を後ろに引き、体を動かさずに上手から下手にゆっくり水平移動するシーンだ。人形のように不動で床から15センチほど上を進んでいく。おそらく上から吊られているのだろうが、奇妙な光景を現出している。また、白い光の線が舞台中央から上手に向けて、丸みを持ったL字型に光る下で、勅使川原らが踊る場面も印象的だ。そして、「細い三日月」という言葉が流れ、これが「月」をイメージしていることを思わせる。

 そうなのだ。舞台には勅使川原の声、そして女性の声で何度か詩が流れる。静かな言葉が空間に響く。萩原朔太郎の詩文である。この公演は「月に吠える」と題して、萩原朔太郎生誕100周年を記念したものなのだ。

佐東利穂子
 ダンス公演では通常、音楽は使っても言葉は使わない。言葉の意味が身体表現を疎外する、つまり言葉がダンスを意味づけてしまうからだ。だが、勅使川原はこれまでも時折、舞台で言葉を使ってきた。例えば、『ゴドーを待ちながら』のように、戯曲や文学作品に着想を得ているためでもある。

だが、それ以上に、言葉を使うということに挑戦している。2013年から両国・シアターX(カイ)では、「言葉と音楽とダンス」をテーマに連続公演を行っている。言葉の意味に引っ張られず、踊る身体を言葉とともに提示しようという実験に果敢に挑戦しているのだ。実際、その試みはいずれも成功し、観客に衝撃を与えてきた。そして、あくまで自らの声を使うということころも潔い。主催する舞台では演出、振付、音楽、美術、照明などすべてを自ら手がけているのだ。おそらく完全主義者であろうが、毎回その着想と舞台の美しさには脱帽する。そしてもちろんその踊りと身体感覚も同様に素晴らしい。

 今回の舞台は久しぶりに外部のダンサーを交えたものだった。背の高い2人の外国人はスウェーデン・イエテボリ・オペラ・ダンスカンパニーに所属し、何度か勅使川原作品を踊っているため、振付は十分体になじみつつも、自身が持つ動きの感覚が混じり合い、それぞれ個性が出ていた。それでも3人のなかでは、鰐川枝里の踊りのスピード感と技術が際立っていた。
佐東利穂子            勅使川原三郎
 音楽もノイズからクラシック、ピアノ曲へと展開し、舞台に優美さ切なさもまとわせた。今後も欧州などでオペラ、バレエ演出などが続くという。東京バレエ団をオペラ『魔笛』で振り付けたことはあったが、できれば、日本のバレエ団に作品を振り付けてほしい。勅使川原三郎による、音楽・照明なども含めたトータルなバレエ作品をぜひとも見たいと思う。

2017.8.26 プレイハウス所見

舞踊批評家 しが のぶお