レナード衛藤ブレンドラムス "Treasure"
2019.6.20 新宿ReNY

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Leonard Eto Blendrums
"Treasure"


志賀信夫の「動くからだと見るからだ」

「太鼓とバレエが心に響く」レナード衛藤日本公演

 太鼓の音というのは、なぜか人の心を揺さぶる。音は波だが、その波動が体に直接作用するためだろうか。ドラムのビートが利いた曲は、例えば『ウィ・ウィル・ロック・ユー』のように、多くの人をとらえる。アフリカ音楽ではジャンベ、あるは盆踊りの和太鼓でも、いずれも太鼓の音の力を感じる。特に和太鼓は日本では、夏祭りなどで親しむことも多い。実際、小さい頃はかっこよく見えて、叩きたかった記憶がある。

 和太鼓を日本のみならず世界的に広めたのは、鼓童であろう。現在活躍する多くの和太鼓奏者は、ここの出身者が多い。レナード衛藤も鼓童に八年在籍した。兄のスティーヴ・エトウもパーカッション奏者で、父の衛藤公雄が生田衛藤流家元、盲目の箏奏者として国際的に評価されている点は、他の鼓童メンバーとはちょっと違う。二人の息子がともにパーカッションというのもおもしろい。父の邦楽の素養もレナードには染み込んでいるのかもしれない。

 舞台はレナードのソロから始まる。中央奥に大太鼓。太鼓の木製の美しい台にはLeonard Etoの文字が刻まれている。その左と上手手前に中太鼓。左奥にはドラムセット、その手前にはコンガなどのセットが二組。

 レナードが上手手前の和太鼓セットを叩き出す。さらに大太鼓、そして紐で抱えたかつぎ桶太鼓。レナードの太鼓が次第にエネルギーを増していく。考えてみると、他の楽器と比べて、叩くうちにどんどん音もよくなり、エネルギーを増すのが和太鼓だ。皮と木という構造によるのか、叩くことで音色が輝いていく。

 この和太鼓のリズムも一様ではない。叩き出すと複雑な変化を見せる。徐々に変容していくのが、和太鼓の魅力といえるかもしれない。大半は四拍子、偶数系だが三拍子もちょっと混ざる。

水谷彩乃/前田新奈/田所いおり/レナード衛藤
 やがてレナード衛藤のソロにダンサーが登場する。赤い衣装の二人、前田新奈、水谷彩乃と白い衣装の田所いおり。いずれもロングドレスで舞うように踊る。バレエのしっかりとした技術を感じさせる動き、無駄のない端正な動きが、一種の様式美を醸す。といっても、わかりやすいバレエの動きそのものではなく、ロングドレスを生かした優美な動きである。太鼓の強いテンションにぴったり合わせるのではなく、そこに華麗な表現を重ねてくる。新人バレエダンサーであればテンションに引っ張られるのだが、そうではない。自分たちの振りと動きを前に出す。そのバリエーションに多くの観客は釘付けになっているはずだ。

 レナードの楽しいMCを挟んで、レナードの和太鼓に奥左の和太鼓セットを山内利一が叩いてテンションを入れる。オカズ、つまり即興の音をリズムの裏、時に表に被せたり、ずらしていく。一度ブレイクを入れ、和太鼓で山内利一とレナードとのデュオが展開する。さら、コンガにIZPONと中里たかしが立ち、IZPONはコンガの横の小さいパーカッションでテンションのある「オカズ」を入れていく。このIZPONが極めて優れたパーカショニストであることがくっきりと浮かび上がる。彼によって音楽がポリリズムのような複雑さをまとい始めるのだ。

 こうして、和太鼓の和のモードから、どんどんラテンのモードに変容していき、ここでまさにパーカッション合戦というような音楽コラボ、セッション的な演奏になり、アドリブの魅力が際だってくる。もちろん曲はあらかじめレナードを中心に設定されているのだが、そこにどう絡んでいくかは、それぞれの即興性がモノをいう。そして、音の高低からメロディに近いリフ、リフレインが立ち上がって音楽の魅力を広げた。中里たかしはフュージョンからラテンバンドなどで活躍。IZPONはフジロックにも出演し、二〇〇一年からキューバで学び活躍、本場の匂いを漂わせ、秀逸だ。

 そして、ドラムに芳垣安洋が加わり、音楽はさらに厚みを増していく。ドラムはかなり自由にカウベルも使い、音に彩りを与えた。芳垣安洋は大友良英、菊地成孔とも共演し、渋さ知らズにも参加しているベテラン。こうなると、和太鼓、ラテン、ジャズといった基盤から互いにはみ出しながら、凄い打楽器セッションに変貌する。

レナード衛藤
 そしてダンサーたちが登場する。衣装を着替えて踊り出すが、音楽には合わせているが、リズム自体には単純には乗らない。乗ってしまうと、踊らされている感が強まるからで、そこは三人ともキャリアのあるバレエダンサーとして、さすがである。前田新奈は、谷桃子バレエ団出身で、長く新国立劇場でソリストをつとめた後、「末國」というパフォーマンスグループに参加。その頃、何度か見ている。その後、創作活動を行い、国内外で活躍している。田所いおりは、フランスで工藤大貳にも学び、国内で多くのバレエ作品に出演、石井潤、上田遥、佐多達枝、堀内充などの作品にも出演している。水谷彩乃は、ベラルーシで学び、ベラルーシ国立ボリショイバレエなどで活躍して帰国した俊英。いずれもしっかりとしたテクニックで、美しい踊りを見せる。
 バレエと和太鼓というと、一見、ミスマッチのようであり、単純に和と洋の出会いのようにも思えるが、そうではない。レナード衛藤が意図したのは、和太鼓もバレエも様式があり、その点で共通の基盤があるから、一緒にやることで新たな表現、創造に結びつくということだ。確かに、お互いの様式を意識することで偶然性、即興性だけではない「作品」の創造に結びつくということはいえるだろう。
芳垣安洋

 もう一つ、太鼓の音というのは、根源的に人を動かす力があることも、重要である。太鼓の繰り返されるリズムは波動となって体に伝わり、自然と体を動かす。それが古来は踊りと密接につながっていた。アフリカの音楽と舞踊を見れば、それがよくわかるだろう。リズムのリフレインと足踏みは、踊りへとつながっていく。

中里たかし/Izpon/芳垣安洋
 以前に大太鼓を叩いたことがある。音楽家の喜多郎が主宰する富士山五合目の奉納太鼓というイベントがあり、十年以上続いていたが、これに誘われて参加したのだ。喜多郎と米国ツアーなどを行っている舞踏家、玉野黄市らと参加した。満月の日に日の入りから日の出まで、大太鼓から中太鼓など喜多郎の所有する数多くの和太鼓を、みんなで叩き続けるというものだ。ドラムやパーカッションの経験は多少あるが、幼少時からの念願の大太鼓の音は地に響き、手の皮のすりむけるのも忘れて叩き続けた。いまは長野県に移って続いているようだが、何時間も叩く体験は今後も滅多にはできないだろう。

 三人のバレエダンサーは、基本はバレエテクニックだが、トゥシューズではなく当初はバレエシューズ、そしてさらに裸足で踊った。レナードはトゥで踊ることも意図したようだ。それはバレエが回転や飛翔を志向して上方へ向かうのに対して、太鼓は地へ向かうという対比が表現できるということだという。だがむしろ、裸足で踊ることで太鼓を体感して地面、大地を意識するほうが合っていると感じた。それは、見る側が太鼓を体感しているために共感を得やすいのだ。そこで、幻想の世界を描くクラシックバレエ的なものよりも、音と体の一体感のほうが、見る側に響くだろう。海外で行うときは、クラシックバレエと和太鼓の対比が受け入れられやすいかもしれないが、日本ではバレエダンサーが裸足で踊ると、むしろ観客に届くかもしれない。その意味でも、足は二番で足首を両側に向けて、さらに足を開き腰を落とした姿勢と動きは、太鼓と共振しやすいようだ。今後は太鼓の動き、もっと腰を落としたポーズや、太鼓の腕の動きなども取り入れた振付を考えてもいいように思う。
Izpon/中里たかし/芳垣安洋/山内利一 水谷彩乃/田所いおり/前田新奈 レナード衛藤
 今回のようなバレエダンサーと和太鼓という組み合わせは、日本でも海外でも注目されるだろう。そこにさらにジャンルの違うパーカッションが加わって、見応えのあるステージとなった。今後、より多くの観客を獲得して、レナード衛藤の世界は、さらに盛り上がるのではないだろうか。

19.6.20 新宿ReNY所見

舞踊評論家 しが のぶお