ユニット・キミホ初公演 『Garden of Visions』

2007.3.17&18 世田谷パブリックシアター


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UNIT KIMIHO
『Garden of Visions』


吉田悠樹彦の
Driving into Eternity

キミホ・ハルバートはベルギー生まれのイギリス人だ。近年、人気が出てきている振付家だが、実は90年代から自作を発表している。ダンサーとして踊るハルバートの姿をまるで昨日の事のように語る往年のファンもいるが、キャリアのある作家ということもできる。これまでの活動の1つの集大成にあたる公演を行った。ハルバートは、多くのバレエの若手振付家と異なり、バレエならではの表現形式に捉われることなく、優しく叙情的に、時には力強く哲学的随想のような世界を描こうとする。その作品を見るものに作品の主題について語りかける、しかしそれのみならず観客にも共にテーマを考えさせるような姿勢、それがハルバートの語り口だ。父親のアンソニー・ハルバートは20世紀バレエ団、NDTで踊り、69年から振付家として活動をしている作家だ。彼女自身は5歳から母親である岸辺光代にバレエを習い始めた。
この作家を送り出した豊かな環境 を感じさせるように、ヨーロピアンなトーンの作品が多い。開演前の劇場には大きく緑やその中で安らぐ白いダンサーたちの映像(長井琢英)が流れている。テレビやコンピュータのようなディスプレイを通じた映像メディアというよりは劇場空間の空間性を感じさせる映像だ。
島田衣子& 今津雅晴
作間草& 武石光嗣
菊池いつか/田中ノエル/原嶋里会
西田佑子
最初の作品は肉体の中に潜むエネルギーについて描いた「VISION OF ENERGY」(2003年初演)だ。闇の中から宙に手を掲げた女(ハルバート)が現れる。天空には大きな光の玉が輝いている。すると舞台前面に座っている乙女たちの姿が浮き上がる。若い彼女たちが脚を動かし形象美を描き出す。すると舞台後方にはベテランの踊り手たちも登場し立ち尽くす。シーン全体の構図と2つのジェネレーションの踊り手たちのコントラストが心地よい始まりだ。舞台には男たちが登場する。すると女たちも現れ、彼らと共に踊りだす。本作にかぎらずこの作家の作品を見ていて飽きないのは、叙情的で詩的な各シーンの間にこのように小さなストーリーや様々な場面が織り込まれることだ。故に1つの作品でも様々な角度から作品をみることができるのだ。
森田真希
肉体たちがバレエテクニックにとらわれず、鋭くしっかりとしたムーブメントを刻みだすと、島田衣子と今津雅晴が現れ、デュエットを踊り始める。島田はそのほっそりとした肢体からシャープな感情表現を繰り出す。対する今津は豊かな身体感覚を生かして、下肢にグリップをきかせながら切れ味のある踊りを見せる。相互の感情の拮抗の背後に細かいリズミカルな音も加わり、緊張感が舞台いっぱいにみなぎっていく。やがて菊池いつか、田中ノエル、そして原嶋里会が現れる。彼女たちは顔を下に向け、手をだらりとつりさげながら、身をゆらし、時には中腰になり動いてく。そして「La La La」と歌う。ショートヘアーの西田佑子を始めとする若い踊り手たち(Junior Member)たちも彼女たちの声にこだまするように明るくきびきびと応える。西田が踊ると短い髪が空中に流れ、両性具有的な魅力が場面いっぱいに広がる。踊り手たちのムーブメントを伝える空気の1つ1つの粒子が情景にたちこめていく。21世紀初頭の混迷する時代の最中とはいえ、理念と肉体が歩み寄りながら溌剌とした希望を描き出した。舞台には思い出したように再び光の球が頭上に現れ一時の情景は闇の中へと消えていく。
島田衣子
「La-La Land」
続く作品は、多くの踊りたちが踊る作品から一転し、今度はベテランの宮内真理子がソロで踊る力作「La-la Land」(2000年初演)だ。宙から白い羽がひらひらとおち続ける。まるで時の流れと、清く純白な心のかけらの軌跡のように。背景には長井による映像が小さく映し出されている。光のスリットが一筋、地の彼方に向けて広がり、絶望をしているように女が大地に横たわっている。宮内は内面の起伏を描くようにもがく。心の鼓動を感じるように揺れ、やがて鍛えられた肢体から優しく、しかし鋭く明確な動きを紡ぎだす。ビデオの中では淡々と緑色の自然風景が展開している。やがて女は身体を広げたかと思えば、足を宙に大きく伸ばし生命の呼吸を大気に放つ。そして羽はただひたすら踊り手の肉体と大地の上に舞い落ちていく。
宮内真理子
「skin to skin」
キミホ・ハルバート& 佐藤洋介
続く「skin to skin」(2006年初演)はハルバートと佐藤洋介が踊った。静まりかえった空間の中で女と男はお互いにまるで体温や存在を確かめ合うように触れ合い、互いの存在を確認しあう。その気になれば大きく躍動するように踊ることができる2人なのだが、ダイナミックに動くのではなく、支えあったり、感じあったりすることで素朴に感情を確かめ合う。やがて2人は動作をまるで重ねあうようにユニゾンを描き、男の傍らでスピーディーに回転する。叙情的でありながら安易に抽象的なムーブメントに昇華しない一定の緊張感がみなぎる作品だ。
「INBETWEEN REALITIES」
昨年から今年にかけて何度か上演されている「INBETWEEN REALITIES」(2006 年初演)を今回は島田衣子と柳本雅寛、そして横関雄一郎が踊った。男女がそれぞれ布の中で動き出す。そしてそれぞれが世界や存在を感じ取ることで生まれる「地球」、「穴」、「Zero」といった言葉を口ずさみながら踊ったりする。作家の代表的な秀作の1つといえる。多くのバレエ作家のように作品の中で自己が主役となりきることがなく、常に対象との距離を感じさせながら、作家内部のイマジネーションを描き出すのがハルバートのスタイルといえるだろう。女は2人の男たちの間で揺れ動くが、いわゆるドラマティックな感情表現ではなく、世界の中での自身のあり方を問う姿を客観的に表現した。
横関雄一郎/島田衣子/柳本雅寛
「Branches of Sorrow and Love」
人間の内面や思考にアプローチをする作品が続いたが、次の作品は人生の深みに迫る秀作だ。「Branches of Sorrow and Love」(2005 年初演)では人生の哀しみや喜びに対する洞察がしなやかに描き出された。女たちは1列に現れる。その列の中から1人が抜けだして大きく踊る。踊り手たちの背景には悲しい感情を歌い上げる声が流れていく。深い慟哭とその向こうにある希望や愛を象徴的に表現しようとしているシーンだ。
横関雄一郎& 西田佑子
武石光嗣& 森田真希
キミホ・ハルバート& 佐藤洋介
岸辺光代
やがて森田真希と武石光嗣が踊りはじめる。森田は優れた芸術性を持つ実に鮮やかな彩りのある踊り手だ。対する武石のしなやかなムーブメントも心地よい。2人が織り上げる人生の喜怒哀楽はセンチメンタルで心に深く染み入ってくる。やがて舞台には4組の男女が現れそれぞれに愛し合う。彼らが踊る情景に紗幕が下ろされると、そこに照明が白く輝く水晶たちを映し出す。最後に舞台には棺桶を思わせる箱が登場する。踊り手たちはキリスト教の葬儀のように白い花をそれぞれ手に持って現れる。彼らは愛する人の亡骸の上に献花していく。舞台のもう一方の傍らには白い帽子を被った貴婦人(岸辺光代)が座りたたずんでいる。ハルバートが古典から現代にかけて主に20世紀の様々なバレエ作家の表現から影響を受けていることを見て取れる作品だ。
「GARDEN OF VISIONS」
最後は新作「GARDEN OF VISIONS」(初演)が飾った。舞台中央には巨大な草花による美術(横井紅炎)が置かれている。環境をテーマにした作品は近年多く、佐多達枝、勅使川原三郎といったベテラン作家の近作に見ることができる。しかし舞台中央に巨大な樹木が立っているその舞台は、超現実的であり、またその一方で民俗的な神話や儀礼をも思わせる。男たちと女たちは戯れあい、時にはそれぞれに身をかがませながら、生命の営みを描き出し、時の流れを刻んでいく。島田、西田、そして作間草や矢島みなみたちは庭園の中で草花とそれぞれに戯れる。ハルバートは手に薪を持って現れ、舞台の片隅に積み重ねていく。ピアノの旋律が彼らのそれぞれの姿を包みこむ。しっかりとした作品構造と計算された時間の流れに基づく作品だ。
いずれもじっくりと見ごたえがある力作たちだった。現代バレエの若手作家たちの中で優れた作品を作り出す作家は数少ない。様々なモードや流行といった目先にとらわれずに、ハルバートのように着実に自身の様式を丁寧に探求するオリジナリティ豊かな作家が数多く出てきて欲しいように思う。舞台で踊った踊り手たちはバレエやコンテンポラリー・ダンスで活躍をする様々な面々だ。彼らと共に歩みながら21世紀の彼方へ舞踊表現をさらに探求をしていくであろうこの作家のこれからが楽しみだ。

3.18 世田谷パブリックシアター所見

舞踊批評家 よしだ ゆきひこ