スペイン国立バレエ団

<東京公演>Bunkamura オーチャードホール
<大阪公演>フェスティバルホール


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BALLET NACIONAL DE ESPANA

ボレロ Bolero
振付:ホセ・グラネーロ
音楽:モーリス・ラヴェル
ミゲル・アンヘル・コルバチョ

吉田悠樹彦の
Driving into Eternity

スペイン国立バレエ団 2007年 日本公演 Aプロ  バレリーナたちの肉体にみなぎる鼓動は肉体を見る者をスペインの異郷へいざなっていく。スペイン国立バレエ団の今回Aプログラムで上演されたのはフラメンコに縁のある作品たちだった。
 「ボレロ」(振付:ホセ・グラネーロ)は舞踊で使われる音楽として知名度がある曲だが力強く描き出した。フラメンコならではの肉体や情念の味わい深さとバレエダンサーのテクニックを融合させたフラメンコ・バレエともいうべきスペクタクルだ。暗闇から踊り手が現れると主役のミゲル・アンヘル・コルバチョとアナ・モヤを通じた男女の対比やイスパニア文化を感じさせるラテン調の舞台装置、シンメトリーなどシンプルな構成を駆使した踊りを展開していく。バレリーナが踊ると得手にして激しさや情念に肉体を昇華し跳躍や回転を披露しそうなこの楽曲を、ジプシー音楽に影響を受けて誕生したという逸話を感じさせもする様に、フラメンコとバレエの歩み寄り、フラメンコ・バレエ、として描きだした。ダンサーたちの身体さばきはさすがにバレリーナならではのシャープでスリリングなものだった。楽曲から作品をバレエ的にまとめた印象も受ける。
ミゲル・アンヘル・コルバチョ&エステル・フラド
ラ・レジェンダ
La Leyenda

原案・振付:ホセ・アントニオ
エレナ・アルガド
 一方、「ラ・レジェンダ」(原案・振付:ホセ・アントニオ)はアルヘンチーナなどと並んで伝説的なフラメンコの踊り手の1人として知られるカルメン・アマジャの一生を描いた作品だ。小柄で《マシンガン》と喩えられる様な激しく速いサパテアードを踏み、ハスキーな声で歌い、トラヘ・コルトという短いジャケットを着て踊った。ジプシーの出身で一族を連れて旅をし、ジプシーの女王とも称えられた踊り手である。この踊り手が出演する映画「バルセロナ物語」にはそんな彼らの生活が良く描写されている。小島章二はこの映画を見ることでフラメンコを究めようと決心した。ジプシーはスペインではつく職業も限られ、食べ物も制限される様な厳しい生活を送っている。小島章二や長嶺ヤス子も彼らと同じ様に若い頃には大変な生活を送った。その日々が糧となり、現在も感情表現豊かな作品を生み出すのだという。現代でも映像で見ることが出来るアマジャの勇姿は実に見事なものだ。フラメンコの代表的な踊りと共に物語的にその一生を描いた。
 群集の中から踊りがはじまる。エレナ・アルガドがアマジャを演じている。やがてアマジャと同じ様に小柄な男物のジャケットを身につけ踊り始める。人生の紆余曲折を象徴する如くフラメンコの代表的なパロ(曲)が続いていく。《孤独》を意味する『ソレア』がしんみりと描かれたかと思えば、声が明るくなり一転して陽気な『アレグリアス』が仲間たちとはじまるといった様に。最後は豪華なロングスカートを身につけつけたクリスティーナ・ゴメスとともに踊り『セギリージャ』へと連なっていく。白と黒の二人の女性舞踊手が豪華な踊りを披露した。
アナ・モヤ
『エピローグ』ではアマジャを偲ぶ様に一同に並んだ踊り手たちがギターやカンテと掛け合いをみせながらそれぞれの踊りを披露し競いあった。フラメンコはバレエと違い、テクニックのみではなく踊り手の味わいやカンテのギターや歌詞との掛け合いを味わったりする部分もある。容姿端麗な踊り手やその技術、作品のモチーフや振付、構成を楽しむのみではなく、円熟した踊り手の生き様が滲み出る様な踊りっぷりや掛け声が拍手をあつめることすらある。即興的なその場限りの要素を入れながらお互いに踊りを楽しみあうバレリーナたちは、スペインをいきる踊り手たちの原風景を感じさせ、彼ら彼女たちの日常や生活も感じとることが出来るものだ。そこには生き生きとそして熱く絶え間なくサパテアードと声、肉体が響き合っていた。
アナ・モヤ&エレナ・アルガド
「ラ・レジェンダ」の題材になったカルメン・アマジャ(市川はカルメン・アマヤと表記)は一般的には日本では大きく知られていないが市川雅の「舞姫物語」に小論が収録されている。市川は自身でもフラメンコを習っていた時期があった。サンクトペテルブルク出身の批評家アンドレ・レヴィンソンはバレエのみならずスパニッシュにも関心を持っていた。バレエファンにも関心を持って欲しいジャンルであり、現代の舞踊批評家も取り組むべきジャンルといえよう。この初代芸術監督としてこのスペイン国立バレエ団でも活躍したアントニオ・ガデスは近年他界した。ピラール・ロペスの相手役としてガデスの1960年の初来日のときは多くの日本人が熱狂としたという。この60年は日本も安保闘争の盛りということもあり革命的身体ともいうべき緊張感が舞台にみなぎっていたという。
現代の日本の若者たちは当時と異なりイデオロギーを街路や外部に放出するというのではなく、むしろ様々な情報と一体化してしまい内面に閉じこもることが多い。しかしそんな時代でもフラメンコは人気がある。先行きの見えない現代日本でもラテン系といわれる様な社会生活でも自分のペースを重んじる人間臭さ、明るさや朗らかさが人気の根源にあるようだ。自らの存在をかけ社会と向かいあい訴えかけていく様なジプシーや新しいライフスタイルを模索したヒッピーやフラワーチルドレンたちの様な熱気がオーディエンスの側から立ち上がってくるとなお面白くなるのではないかと思うこともある。とかく繊細でお上品にまとまりやすい日本の若者たち、若きバレリーナたちにとっても社会・経済に流されることなく、自分たちの生活のペースを守り、日常生活に優れた民族舞踊があふれていて、ハングリーな彼らのスタイルはヒントになるといえまいか。彼らの魅力を今度はコンテンポラリー・ダンスの作品でも堪能してみたい様に思う。

舞踊批評家 よしだ ゆきひこ

9月29日 マチネ Bunkamura オーチャードホール所見